運命に肩を叩かれているんだよ

僕はこの場所に来る前まで、小学校の先生をしていました。
自分はフリースクールをしたいんだと、自分の気持ちに気づいてから、辞めようと決めるまでは早かったかのように思います。

小学校で先生をしているときは、きっとこの仕事が自分にとって相応しい仕事だろうと思っていました。
人の育ちというものに関心が強かった僕は、小学校の先生こそが教育の最前線だと思っていました。今もその気持ちに変わりはありませんが。疲れる日もあったけれど、それでも教師のやりがいはとても大きいものでした。

ただ今思うと、小学校の先生こそが自分にとって相応しい仕事だ、と信じ込みたかったのだと思います。
きっと僕は、小学校の先生をしながらも心の奥底には、フリースクールのような教育の在り方を羨ましく思っていたのだと思います。

実は、大学生四回生の頃にも、学校現場に進むか、別の教育現場に進むかで迷ったことがありました。
その頃は野外教育の現場でボランティア活動をしていたので、学校じゃない場所にも子どもが育つ環境はあるんだということを実感していました。
そして、野外で子ども達と活動しているときの自分もとても好きでした。
そのこともあって、学校現場に行くか悩んだのですが、学校で働くことに決めました。
公立学校には、恵まれている恵まれていない関係なしに、本当に多様な子が来ます。そこは野外教育にはない価値だなと思ったし、そういう所で勝負するべきだなと感じていました。
そういった「こうするべき」という考えにとらわれていたのかもしれません。
なんとなく、学校現場を離れるのは教育からの逃げのように感じていました。

そして先生をしてしばらく経ったときに、フリースクールでお仕事をしている大学時代の後輩から、研修に来ないかという誘いがありました。そこでも、もちろん僕はフリースクールいいなーと感じていました。そのフリースクールのスタッフの方に「大学生のときにも感じていたけれど、本当は学校ではない場所で教育をしたいと思っているかもしれません。」と伝えました。
そうしたら、「それは運命に肩を叩かれているんだよ。」と言われました。
続けて、「運命の手を振り払って気づかないフリをしたとしても、また肩を叩きにくるんだよ。おい、気づいてるんやろ?って。」
大学生のときに運命に叩かれた肩を、もう一度叩かれているのかなーと思いました。
そうして、やりたいことをやろうと思ったら、なんだかいろんなことが回り出しました。

今フリースクールをしているのは、もしかしたらその言葉があったからかもしれません。
その方は運命だと言いましたが、僕は自分の心がそう言っているのではないかと感じています。
「こうあるべき」という考えに縛られてしまうとなかなか感じ取れないメッセージな気がします。
こうあるべきではなく、自分がどう在りたいのか、というのは毎日のテーマです。

上村

まるや(旧・進化型コミュニティーハウスかどや)

高槻市原にある築150年の古民家「まるや」。学び合って育ち合う文化を作っています。

0コメント

  • 1000 / 1000